お疲れ様です。
現役ファッションデザイナーのエースです。
現代のファッションビジネスの仕組みはオートクチュールができた時にある程度完成したそうです。
オートクチュールの仕組みを作ったシャルル・フレデリック・ウォルトはデザイナーの価値を最強に高めました。
150年以上デザイナーの価値を担保することができたオートクチュールの創始者から凄腕戦略を僕は盗みたい!!
ということで、さっそく見ていきましょう。

余談ですがご先祖様のルーツをたどると感謝の気持ちが現れるそうです
目次






この人がオートクチュールの創始者シャルル・フレデリック・ウォルトだよ
- デザイナーの地位を押し上げた人だよ
- ファッションモデルを使ったよ
- オートクチュールをつくった人だよ
- メゾン(オートクチュールの店)をつくった人だよ
彼のあとにココ・シャネルが現れ、クリスチャン・ディオールへとデザイナー伝説が続いていきます。
オートクチュール制度はメゾン(オートクチュールのお店)を作った事から戦略がスタートします。
なお、本記事でのオートクチュールの意味は便宜上下記のように定義します。
「イノベーター」で読むアパレル全史
服地の選定からデザイン、仕上げまでをデザイナーが一貫して行うシステムである。デザイナーが服のサンプルを用意し、モデルに着せ、顧客に選ばせ、顧客の身体のサイズに合わせて作る。これをすべて1人のデザイナーの名のもとに一貫して行うのである。



昔は一貫してなかったんですか?



昔は顧客が生地を買う→付属→仕立て屋でデザイン→お針子が縫う。という流れだったんだ。
シャルル・フレデリック・ウォルトの場合はメゾンに顧客が相談にくるようになりました。
- オートクチュール制度を開発したよ
- メゾン(オートクチュールのお店)を作ったよ
- 顧客が広告として機能させたよ
順番に説明していきますね。
- コレクションショーを年に4回開催する
- モデル(動くマネキン)に洋服を着せる
- アトリエを持っている
オートクチュールの制度はいくつかあるのですが、代表的なのはこの3つです。
モデルを使ったコレクションがこの時代から始まったのですが、その形式が現代まで続いている事がすごいですよね。
自社で一貫して生地選定からデザインし、製品まで作るシステムは、経営的にも無駄がなく革新的な戦略だったようです。
メゾンはオートクチュール制度を実現するために必要だったのすが、メゾンの存在はデザイナーの自身の価値も高めました。
- コミュニティー
- 顧客管理



メゾン?



ここではオートクチュールのお店のことをいうよ。
【メゾンの価値1】顧客が来てくれる
メゾンができた事で「顧客の家に伺う」から「顧客が店へわざわざ出向く」に関係が変化しました。
この関係の変化は大きくて、下請け的な立場から相談したい存在へとデザイナーの社会的地位が上がっていきました。
【メゾンの価値2】顧客管理ができる
この場合の顧客管理というのは顧客同士の洋服がかぶらないようにする事です。誰がいつ着るのかを把握する事でそういった恥ずかしい思いしないように管理していました。
これがメゾンの2つ目の役割です。
価値というとつい商品ばかりに目がいってしまいますが、商品以外のサービスって現代でも重要ですよね。
王室御用達。芸能人愛用。というコピーは広告としては抜群です。専門用語でいうと権威性というらしいです。人は権威に弱いのですね。
下記は彼の顧客の一例です。
- 皇帝ナポレオン3世の妻 ウジェニー皇后
- オーストリア エリザベード皇后
- 女優 サラ・ベルナール
- 女優 リリー・ラングドリー
ウジェニー皇后が顧客になった理由
シャルル・フレデリック・ウォルトはフランスのリヨンの当時停滞していた絹織物業を救うために絹を多く使用しました。その理由がリヨンの停滞を悩むナポレオン皇帝にリヨンを救うと約束した事で皇后に起用されたようです。
ファッションモデルを開発
ワースはウォルトの英語読みですね。ホベルクはガシュランで働いてた友人の名前で一緒に店を出した人です。
オートクチュールの基本的なシステムを構築。
仕事としては生地の仕入れからデザインし、製品を渡すまで一貫して行うというルールです。


